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弁護士紹介

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創設者紹介

日本の民暴対策史に燦然と輝く正義の人

「六法全書を持った現代の鞍馬天狗」これは、宮﨑乾朗弁護士が昭和60年(1985)に日弁連民事介入暴力対策委員会委員長に就任した頃に、当時のマスコミが冠した称号です。「事務所に乗り込んできた暴力団員と対峙したが、一喝し相手の短刀を机に叩きつけた」など数多くの武勇伝が今に残っています。
宮﨑乾朗弁護士の名前を永遠に留めることとなったのが昭和62年(1987)の浜松海老塚訴訟(一力一家組事務所使用差止訴訟)で、このとき住民側弁護団団長に就任した氏の殻然した態度と緻密な戦略によって、住民は組事務所の撤去に成功。全国に報道されました。この訴訟で、日本で初めて暴力団追放の法理として「人格権」が承認され、その後の暴力団対策に大きな成果をもたらしたのでした。

また、平成3年(1991)には大阪府堺市の山口組系赤心会組事務所使用差止訴訟でも住民側弁護団団長として陣頭指揮にあたるなど、氏は日本の民事介入暴力対策の黎明期から近年まで強烈な使命感をもって事にあたり、一貫して弱者の側に立ち、身を挺して法の正義を守り抜いてきました。

こうした活躍が注目されて、故伊丹十三監督に請われて映画「ミンボーの女」(平成4年全国公開)に原案を提供、シナリオ監修に携わったことなどもよく知られているところです。
わが宮﨑綜合法律事務所には、宮﨑乾朗弁護士亡き後も、氏の弱者に寄せる温かい眼差しと、無法に立ち向かう強靭な精神力が受け継がれています。

宮﨑乾朗弁護士

主な著書

  • 「法律家の事実認定能力」(雪書房)
  • 「強制融資の実態と対応策」(経済法例研究会)
  • 講演集「民事不当介入団体の実態と弁護士の任務」(雪書房)
  • 「金融不祥事とミンボー」(民事法研究会)
  • 「宮﨑乾朗のミンボー事件簿」(金融財政事情研究会)
  • 「株主総会の運営と実務」(共著、金融財政事情研究会)ほか多数

宮﨑乾朗弁護士の経歴

昭和6(1931)年
岐阜県生まれ
昭和30(1955)年
日本大学法学部卒業
昭和35(1960)年
司法試験合格
昭和38年(1963)年
弁護士登録
昭和50年(1975)年
大阪弁護士会副会長
昭和53年(1978)年
紺綬褒章受章
昭和60年(1985)年
日本弁護士連合会民事介入暴力対策委員会委員長
昭和62年(1987)年
浜松海老塚訴訟(一力一家組事務所使用差止訴訟)住民側弁護士団団長に就任。
翌年、組事務所撤去に成功。
昭和63年(1988)年
組事務所撤去運動に対し警察庁長官より「感謝状」授与
平成2年(1990)年
大阪弁護士会司法委員会委員長
近畿弁護士会連合会司法制度調査委員会委員長
平成3年(1991)年
日本弁護士連合会「米国の組織犯罪対策法規制視察団」団長
大阪府堺市山口組系赤心会組事務所使用差止訴訟、住民側弁護団団長
故伊丹十三監督の映画「ミンボーの女」(平成4年全国公開)の原案提供ならびにシナリオ監修
平成4年(1992)年
日本弁護士連合会「イタリアマフィア等組織犯罪視察団」団長
平成5年(1993)年
大阪弁護士会司法修習委員会委員長
平成6年(1994)年
日本弁護士連合会、常務理事
平成7年(1995)年
警察庁長官より「防犯栄誉金賞」受賞
平成8年(1996)年
学校法人日本大学理事就任
平成12年(2000)年
逝去